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ユカタン半島 遺跡巡りの旅:第5回

 カラコル遺跡ツアー

 

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グアテマラ国境の町サン・イグナシオ

 オレンジ・ウォークから旧首都であるベリーズ・シティを経由し、グアテマラとの国境近くに位置するサン・イグナシオという街に移動しました。

 ここは山奥の小さな町ですが、周辺にあるマヤの遺跡を訪ねたり、グアテマラとの間を行き来する旅行者の宿泊地として賑わっています。旅行者には欧米の若者たちが多く、そういう人たちを目当てにした洒落たコーヒーショップやレストランがけっこうあります。町の建物もスペインのコロニアル風とは少し違った、アフリカの英国植民地っぽい感じがします。

 人種的には黒人、マヤ系先住民、白人ですが、その多くが混血のせいか美人が意外に多いのに驚かされます。

 

サン・イグナシオの夕暮れ メイン通りを歩く女の子たち

 

難行苦行のカラコル遺跡ツアー

   この町の近くにある最も大きな遺跡がカラコルです。

  マヤ文明全盛の時代、この周辺ではティカル(グアテマラ)、カラクムル(メキシコ)、カラコルといった巨大都市が覇権を争っていました。マヤ文明でも最大級といわれるティカルに対抗するほどの大都市カラコルのことはあまり知られていませんが。ここは是非行ってみたい遺跡だったのです。

 この遺跡はアクセスが非常に悪いため、ツアーでしか行けません。ツアーを探して町中の旅行会社を訪ねましたが、どこでも「客が3人以上必要」と断られました。そして、5件目の旅行社に先客が3人いたため、ようやくツアーに参加できることになったのです。

 ところが、これが大変なツアーだったのです。翌日、ヨーロッパとカナダからきた二人の若者とチリから来た年配の男性、それに運転手兼ガイドを含め合計5人でオフロード仕様の乗用車で出発しました。

  これが小型車だったため、後部座席の3人はぎゅう詰め状態。その上、道路が凸凹で、ひどい振動が延々と続くのです。実はこれがツアーでしか行けない理由だったのです。あまりの悪路に普通車のタクシーで走ると車が壊れてしまうのだそうです。後部座席の窓側で押し潰されそうな状態だった私は気分が悪くなり、遺跡に着くまで体調が持つか心配でした。

 1時間ほどすると、この状態に業を煮やした年配の男性が「交代で席に座ろう」と言い出しました。1時間交代で席をずらしていくというやり方です。これで少しだけ楽になり、3時間近くもの悪路走行をなんとか耐えて遺跡の入り口に到着したのです。

 

カラコルに行く途中で寄った洞窟。マヤ神話の地底世界への入り口のような雰囲気

カラコル遺跡も熱帯林に囲まれている

 

 カラコル最大のカーナ神殿

  カラコルという名前はスペイン語でカタツムリという意味です。ここの調査をした学者が、遺跡にカタツムリの殻がたくさん落ちていたことから命名したとか・・・。

 この遺跡も鬱蒼とした熱帯林に囲まれていますが、ラマナイ遺跡ほど植物が濃密に生えているという感じではありません。ただ、マヤの神話に登場する聖なる木であるセイバの巨木があったり、緑と花に覆われた沼があったりして、自然を楽しむにもいい感じです。

 遺跡は大きな森の中に建築物が点在する感じです。ここで最も大きな建造物は「カーナ神殿」と呼ばれるものです。下から見ると巨大な建造物でかなり迫力があります。写真で二段になった基壇が見えますが、その上に広場とそれを囲む3つのピラミッド神殿が作られている巨大複合神殿なのです。

 

高さ43mあるというカーナ神殿。大きすぎて写真が撮りにくい

カーナ神殿の上にある広場を囲むピラミッドの上から見た景色。向かいにB5神殿が見える

 

巨大仮面の神殿「B5」

 カーナ神殿の前に広がる広場Bの向かいにあるのがB5神殿と呼ばれる小型ピラミッドで、この壁面に大きな仮面の装飾が残されています。雨の神トラロックを象ったものと言われています。

 見たところ二つから三つの神の顔が重なっていて、一番上は確かにトラックの特徴が見て取れます。ただ、その下は死の神シバルバーのように見えるのですが・・・・。

 カーナ神殿前の広場Bがこの遺跡のハイライトですが、広場Aも神殿群に囲まれていて雰囲気がいいです。修復途中の木が生えたピラミッドがけっこうありますが、この上も上ってみることができます。

 

B5神殿。下部壁面左右に仮面がある

仮面の拡大。重なった神の顔が分かる

広場Aを囲んで建てられている神殿。左にA2神殿、正面がA3神殿になる

 

 重要な遺跡だが印象が薄い

 カラコル遺跡は規模が大きく、建築物もかなり迫力があります。ただ、印象に残るものが少ないのが残念という感じです。たくさんの遺跡に行くと、遺跡の印象がかなり強くないと忘れてしまいます。カラコルの場合は、行き帰りの車の中の辛さだけが強く印象に残り、遺跡のことはほとんど記憶に残っていなかったのです。

 しかし、この遺跡がマヤ文明の中で非常に重要な位置を占めているのは間違いありません。ちなみに、この地域で最強を誇ったティカルは、カラコルとカラクムルの同盟が成立したことによって戦争に敗北してしまい、それ以降、カラコルが隆盛したということです。

  行くのは少し大変ですが、それだけの価値があるのは間違いないでしょう。

 

カラコルが戦争で捕らえた他都市の王を彫刻した石碑

線

 

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「第6回」に続く

 



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