サンタクルス・デ・ラ・シエラ (ボリビア)


ボリビア国旗



発展するアマゾンの開拓地 サンタクルス

サンタクルス市街
サンタクルスの中心部の風景

ボリビア東部、ブラジルと国境を接する広大な地域に広がるのがサンタクルス県。その県都がサンタクルス・デ・ラ・シエラだ。

もともと、スペイン人がボリビア地方侵略のためにアマゾン奥地の密林の中に建設した基地だったという。チェ・ゲバラが活動した時期は非常に貧しい寒村が点在する開発が遅れた地域だった。しかし、ブラジルと国境を接していることが幸いし、農産物の輸出が増加したことで、この地域は、近年になって急速に発展した。

その一役を担ったのが、日本からの移民である。サンタクルス郊外にはコロニア・オキナワとサンファンという2つの日系移民の移住地があり、ボリビアの農業開発の見本となるほどの成功を収めている。

日本政府はサンタクルス地域に対して数多くの援助を行っており、病院や農業試験場などが建設された。さらに、ブラジルにいたる鉄道の改修事業や国際空港の整備も行っている。

せん

果物売り
果物売りの女性たち
サンタクルスの街角に店を出している果物売りの女性。パイナップルやパパイヤなどが多く、特別珍しい果物があるわけではない。熱帯地域なのにりんごがあるのは、この地域が比較意的温暖な気候であるからかもしれない。この地域の人柄は温厚で人なつこい。この写真を撮ったときも左のおばちゃんが右のおばちゃんに「写真を撮るんだから笑いなさいよ」などといってくれた。


靴磨き 経済の発展に取り残される人が出るのはどこも同じ。ボリビアの中では経済的な発展を感じる街だが、ここでは、特に子供たちが靴磨きをしたり、物乞いをしたりする姿が多かった。

 

日本人移民が暮らすサンファン(SAN JUAN)

サンファン1
サンファンの日系移民の子供
サンタクルスから車で2時間ほどのところにサンファンという日本からの移民が暮らす村がある。

 移民というとかなり厳しい状況に置かれているといったイメージを持つ人が多いと思う。確かに、移民が始まった当時は密林を切り開いて農場を作るということで、想像を絶する苦労があったようだが、今は努力の甲斐あって、かなり恵まれた環境で牧畜や農産物の生産を行っている人が多い。ある農家では、日本で農業をしている親戚がやってきて、ここの農場の大きさにびっくりし、「自分もこんなところで農業をやってみたかった」と言ったという話を聞いた。

 私が初めてサンタクルスに行ったのは25年以上まえのことで、そのときサンファンには行かなかったが、知人からサンファンでつかまえたジャガーの皮を見せてもらった。当時は、今は絶滅危惧種になっているジャガーなどの動物がたくさんいた場所だったのだ。


教会
サンファンの教会
サンファンの入り口近くにある教会だが、入り口に鳥居が作られているのが、いかにも日本人移住地らしい。


子供
サンファン近くの村の子供たち
私が行った日はお祭りがあったようで、地元の人たちが大勢広場に集まっていた。ちなみに、この日は日本では敬老の日。サンファンでもお祝いがあってお年寄りが集まって豪華な料理の食事会を開いていた。この子たちにとっても同じように特別な食事なのかもしれない。




チェ・ゲバラが最後を迎えた場所

ゲバラ

キューバ革命の立役者であるチェ・ゲバラは1966年にキューバの閣僚の地位を捨ててボリビアに潜入した。この地で再び革命を成功させるためだ。

しかし、現地のボリビア共産党などはゲバラの武装闘争路線を支持せず、またゲバラやキューバ人などの外国人による活動をこころよく思わない勢力も多かった。さらには、サンタクルス周辺の農民は未開の地で細々と生きることに精一杯で、政治的な行動を支持するような考えはもっていなかった。このため、政府軍から脅された農民は、ゲバラたちゲリラの行動を通報し、次第にゲリラたちは追い詰められていくことになった。

1967年10月8日。サンタクルスの南にあるチューロ渓谷で政府軍部隊と交戦したゲバラは負傷して捕えられ、その近くのイゲラ村に連れて行かれた。そこで、政府上層部の命令により処刑された。一説には、キューバ侵攻に失敗するなどでカストロやゲバラに恨みを持つCIAが処刑を薦めたと言われている。

その後、遺体はサンタクルスの南西300kmにあるバジェグランデという町に運ばれ、飛行場の一角に埋められた。1997年には、キューバとアルゼンチンの調査チームが遺体を掘り起こし、遺骨をキューバに運んだという。

現在、バジェグランデにはゲバラ博物館が建てられている。また、イゲラ村のゲバラが処刑された建物は博物館として保存されており、村の中央にはゲバラの銅像も建てられている。



ボリビアとサンタクルスの位置図


大きな地図で見る
 サンタクルスはボリビア東部にあり、東と北がブラジル国境、南がパラグアイ国境に接している。目印をつけたのは、日系移民の移住地とチェ・ゲバラがゲリラ活動をした地域。ここでゲバラは処刑され、埋葬された。大きな地図を見るをクリックすると、各ポイントの説明が一覧で見られる。

 



 
ラテンアメリカ博物館
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