サンクリの街角

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メキシコ中部 遺跡巡りの旅:第5回

サンクリストバル・デ・ラス・カサス

 

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体調不良で遺跡をあきらめサンクリへ

パレンケの次は、山の中にあるトニナー遺跡を目指すことにしました。トニナーはパレンケからサンクリストバル・デ・ラス・カサス(以下サンクリ)という街に行く途中にあるオコシンゴという町の近くにあります。しかし、ここに行くバスの中で体調に異変が起きました。

  メキシコの一等バスは時々エアコンの設定温度を異常に低くしています。風邪を引いていた私は、寒くてたまらず、加えて、山道の連続カーブと「トペ」という道路の障害物が原因の揺れのせいで、ひどい車酔いに襲われました。オコシンゴに着いた時は、吐き気と眩暈で遺跡どころではありません。あきらめてサンクリに直行することにしました。残念ですが仕方ありません。

 さて、日本人旅行者がサンクリと親しみを込めて呼ぶのが、サンクリストバル・デ・ラス・カサスという長い名前の街です。この街はマヤ民族の村々が点在する山の中に築かれたスペインの殖民都市です。チアパスと呼ばれるこの地方は、元々、グアテマラ(総督領)だったのですが、1822年メキシコが中米を併合。その翌年、チアパスだけがメキシコに残り中米は独立してしまいました。マヤ民族から見ると、自分たちの文化圏がグアテマラとメキシコに分断された形になったのです。

  その後、サンクリはメキシコにおけるマヤ民族研究の拠点として知られるようになり、スペイン植民都市独特の古風な街並みと相まって、多くの旅人を惹きつけるようになりました。1994年には、先住民の権利擁護を訴えるグループがチアパスで武装蜂起し、一時、サンクリの街を占拠しました。一方、メキシコ政府は、地域の安定化を目指す政策を推し進め、サンクリの観光開発も進んだのです。これにより、街はリニューアルされて綺麗になり、今では世界中から大勢の観光客がやってくる、メキシコ東部の観光拠点になっています。

サンクリの中央公園に面したスペイン風の建物。

ソカロ広場につながる遊歩道は美しく整備されている。

 

安い日本人宿に滞在する

サンクリには日本人が経営する日本人宿があり、ここに予約を入れていました。「カサ☆カサ」というこの日本人宿はバスターミナルから歩いて30分以上かかるため、私はタクシーで向かいました。車は街中の細い道を抜け、貧しい人が多そうな住宅街に入っていきます。周囲の景色から、あまり治安が良さそうには見えません。ただ、後で聞いたところでは「それほど危ない地域ではない」ということでした。タクシーが停まったところに鉄の扉を持つコンクリート造りの2階建ての家がありました。日本人宿の多くがこのような鉄の扉を持つ家なのです。

 扉の横のベルを鳴らすと。いかにもバックパッカーらしい髭を生やした若者が扉を開けて、迎え入れてくれました。小さなガレージと1階と2階に6つほどの個室を持つ家を宿泊所にしているのですが、きちんとした管理人がおらず、室内はかなり荒れた感じがします。料金はドミトリーで45ペソ(360円くらい)ですから、安いです。ただ、ベッドがかなり汚いのが気になりました。日本人宿の基本は、お金がないバックパッカーのための宿ですから、料金が安い代わりに部屋はドミトリーで設備も良くないのが一般的です。

 驚いたのは、この宿に10人もの若者が宿泊していたことです。自転車で世界一周をしている男性や自由を求めて世界を放浪している双子の女性たちなど、面白い人達が多く、話をしていると楽しいのです。また、夜は「シェア飯」ということで、みんなが材料費を出しあって夕食を作るのです。料理が得意な男性が、今日は親子丼、明日はビビンバ丼などとメニューを決めて作っていきます。調理の時も、みんながキッチンに集まって、踊ったり歌ったり大騒ぎしながら作るため、時間はかかりますが、毎日がパーティみたいで楽しめます。一つ、私にとって辛かったのは、朝晩がかなり寒いことと、毛布やベッドの状態が悪いため、いつまでも風邪が治らなかったことです。

 

サンクリの日本人宿「カサ☆カサ」の(手前の家)外観。

シェア飯で作った料理の数々。大勢で食べると食材も豊富になる。


観光化で失われ行くマヤの伝統

サンクリの見どころは、美しい街並みや芸術的な装飾が施されたキリスト教の教会群などがありますが、忘れてならないのはマヤの人たちが住む村です。サンクリ周辺で特に有名なのは、サン・フアン・チャムラとシナ・カンタンという二つの村で、どちらも街から車で30分ほどで行けます。今回は、体調が悪いため、サン・フアン・チャムラのみに行くことにしました。

  サン・フアン・チャムラは、マヤの伝統を重んじる人たちが住むことで有名な村です。村の中心にある教会は、内部に入ると独特な雰囲気があり、外観はキリスト教でありながら、心の中では全く別の宗教を信仰しているように見えるのです。

 コレクティーボ(乗り合いワゴン)でサン・フアン・チャムラの広場に着いた私は、年々、観光化が進み、伝統文化も色あせてきている村の様子を見て、暗い気持ちになりました。最初にこの村に来た30年前は、よそ者から自分たちの伝統を守ろうという村人の意識が高く、写真を撮っただけで捕まって村の牢屋に入れられた観光客がいたくらいでした。私も、何気なくカメラを出したところ村人数人が大声を上げて制止しました。その剣幕に気圧されて、人がいないところで数枚隠し撮りしただけでした。

 20年前に来た時は、村の世話役のような人がそばに来て、撮影していい場所とダメな場所を示してくれました。ところが、今回は教会の内部だけは写真撮影禁止なのですが、それ以外の場所はなんの制約もありません。以前、撮影するなと言われた場所も撮影しましたが、そこにいる村の人達もなんの関心も示しませんでした。こんな風に、だんだん変わっていくのは仕方ないことなのかもしれません。そのうち、教会内部も撮影していいとなるかもしれませんね。

 同じマヤの人々が住むグアテマラでは、自分たちの伝統文化を見直す動きが以前から活発になっていて、数年前には写真を撮影した日本人が殺されたこともありました。それがいいわけではないのですが、大事な伝統文化を失いつつあるように見えるメキシコのマヤの現状はどうにも物悲しく感じてしまうのです。

サンファン・チャムラの教会前広場。ここで日曜市が開かれる。

 町のところどころに置かれている十字架。以前はここに黒服の女性たちが座っており、「写真は撮るな」と言われた。

 村の民芸品店で店番をする子供。

教会前広場に面した村役場と警察の建物。

30年前に撮影した上写真と同じ場所。乗り物にはまだ馬が使われていた。


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