メキシコ

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メキシコ中部 遺跡巡りの旅:第2回

世界遺産 パレンケ遺跡

 

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パレンケへ

メキシコ東部にあるパレンケ遺跡は、1987年に世界遺産登録されて以来、観光客が増え、周辺の観光開発も進みました。私が最初にこの遺跡に行ったのは1980年のことです。その頃、遺跡近くにあるパレンケの街はひなびた田舎町で、遺跡も中心部の神殿や宮殿の修復が終わった程度でした。それが、二度目の1993年には、田舎町は整った街となり、遺跡の整備も広範囲に進んでいました。それから20年がたち、どのように街や遺跡が変わったか興味深いものがありました。

 観光開発が進むパレンケでは、空港が作られており2012年中には開港と言っていました。ところが、2014年になっても空港は完成していないのか、飛行機便がありません。仕方なく、パレンケから最も近いビジャエルモッサまで飛行機で飛ぶことにしました。この街はメキシコでは中規模の都市で、市内にはオルメカ文明の石彫などを屋外に展示した「ラ・ベンタ遺跡公園」があります。今回は、街には寄らず、市内から空港経由でパレンケに行くバスに乗りました。

  空港から2時間でパレンケの街に着きました。20年前と比べても、メイン通り沿いに綺麗なホテルやレストランなどが増え、外国人の姿も多くなりました。観光化がますます進んでいることがうかがえます。すぐ宿を探しましたが、田舎の街にしてはかなり値段が高い感じです。最初に来た時に食事をしたレストランに行ってみましたが、かつて地元の人が食事をする町の食堂だった店が、外国人旅行者相手の高級風レストランに変わっていました。安くて美味しい店だったのですが、メニューの値段を見て入るのをやめました。


パレンケのメイン通り。道路沿いには中級のホテルやレストランが多い。高級ホテルは郊外にある。

メイン通りのタコス屋で食事。やっぱり観光客が多い。

 

開発が進んだパレンケ遺跡

パレンケの街から遺跡までは車で15分程度で行けます。街にはツアー会社がたくさんありますが、タクシーあるいはコレクティーボ(乗り合いワゴン)を使えば簡単に行くことができます。私は、街中から出ているコレクティーボで行くことにしました。料金は20ペソ(160円くらい)でした。

 遺跡の入場料は57ペソ(450円くらい)。入場料も上がっていますが、これで遺跡の整備と開発を進めているのですから仕方ありません。入口付近には大勢の観光客と物売りなどがいて賑やかです。20年前はすでに同じような感じでした。

 遺跡の中に入ると、最初は「碑銘の神殿」のグループが現れます。髑髏の神殿(Templo12)や「赤の女王」と呼ばれる女性の石棺が見つかったTemplo13に続いて、優美な姿のピラミッド碑銘の神殿が並んでいます。この辺りは、以前とあまり変わっていません。ただ、Templo13の内部から赤の女王の石棺が発見されたのが1994年で、以前はこの内部は見れませんでした。大きく変わったのは、碑銘の神殿に登れなくなったことです。以前はピラミッドに登り内部のパカル王の墓にも入ることが出来ました。マヤ最大の発見と言われるこの墓を見ることができなくなったのは大きいです。復元模型は、遺跡近くの博物館とメキシコシティの人類学博物館にありますが、模型を見てもねえ・・・という感じです。

 

Templo12から見たTemplo13(手前の屋根がある場所)と宮殿(奥)。

「赤の女王」と呼ばれる女性の石棺。
碑銘の神殿の正面;

 

宮殿内で転んで怪我をした・・・

碑銘の神殿の斜向かいにあるのが、宮殿(El Palasio)。四層の塔を持ついかにも宮殿らしい平べったい建物です。内部には、戦争でとらえた捕虜を引き出したという広場や、捕虜たちを彫刻した石版、神聖文字の階段などがあり、複雑な内部構造もあってなかなか見応えがあります。ちなみに、四層の塔は、以前は天体観測用と言われていました。マヤは天体観測が得意だったため、らしい説が出てきたのでしょう。現在では、物見の櫓だったという説などもあり、本当の用途はよくわかっていないようです。

  ところで、私はこの宮殿内でちょっとした怪我をしました。観光客の撮影の邪魔にならないよいうに彼らを避けた時、足元をすくわれて頭から思い切り床に倒れたからです。原因は、足元に転がっていた遺跡の一部の石でした。サングラスをかけていたため床にぶつかった衝撃がフレームで和らぎ、顔に擦り傷がついたくらいで済みましたが、遺跡巡りには注意力も必要ですね。

  次は、碑銘の神殿の東側に位置する、十字の神殿を中心とするグループです。ここは小規模な広場を中心に、十字の神殿、葉の十字の神殿、太陽の神殿の3つの神殿などがあります。このうち、最も高い十字の神殿はピラミッドの全体像が分かる程度に修復されています。頂上の神殿内部には名前の由来となった十字の形で表された「生命の樹」を中心として、左右に二人の人物が配された大きな石版が置かれています。ただ、ここにあるのはイミテーションで、本物はシティの人類学博物館に所蔵されています。このピラミッドの上からは、碑銘の神殿や宮殿が見えますが、なかなかいい景色です。

宮殿の中庭。捕虜たちを引き出す場所だったという。

葉の十字の神殿から見た景色。右が十字の神殿、左が太陽の神殿。奥に宮殿が見える。
葉の十字の神殿はまだ修復されておらず、ピラミッド部分は土に覆われている。

林の中に点在している小規模な神殿群

十字の神殿グループの南側にはTemplo17からTemplo22までの小規模な神殿群が林の中に点在しています。最も南の奥にあるのがTemplo19で、ここにはパレンケ王の彩色レリーフが施された柱や王の姿や神聖文字が刻まれた玉座などがあります。鬱蒼とした林の中の神殿跡に色鮮やかな漆喰装飾が置かれているのに少し違和感を覚えますが、これはもちろんイミテーションで、本物は博物館に収められています。

 このほか、Templo17の壁にも彫刻が施された石版があります。ここに描かれているのは、近隣のトニナーとパレンケが戦争をして勝利した歴史で、トニナーの王らしき人物がパレンケの王の足元に跪いています。もちろんイミテーションです。この遺跡群は、まだ発掘と復元が進められている途中のようで、Templo20から先は立ち入りできなくなっています。

パレンケ王の彩色レリーフがあるTemplo19。

隣国との戦争を記した石版があるTemplo17。

博物館に収められたTemplo17の石版。

 

美しく整備された北側の神殿グループ

最後は、北側にある神殿グループです。宮殿から北に向かうと、最初にあるのがマヤの重要な儀式である球技を行った球技場(juego de pelota)です。その北にある細長い広場に面して、北グループと呼ばれる同一基盤に乗った5つの小神殿と小規模なピラミッド型神殿Templo10があります。この辺りは、20年前はまだ整備が進んでいなかった場所ですが、現在もここまで来る人は少ないのです。公園風に整備されていますが、豊かな緑の中に佇む時代を超えた神殿群は雰囲気が良く、神殿の上に登って周囲の自然を見ているだけで疲れが癒される感じがします。


神聖な儀式だった球技が行われた球技場。

コンパクトだが整ったピラミッド型神殿Templo10。

 

森の中にある美しい滝を見る

北グループからさらに北に進むと、森の中に住居跡などの遺跡が数多く点在しています。一つ一つは小規模な住居跡ですので、遺跡としてはあまり見るべきものはないのですが、ここを流れる川と起伏に飛んだ地形が作り出す変わった滝があるのです。山の中の下り道をどんどん降りて行くと、水の音が大きくなり森に囲まれた川の先に滝が現れます。さらに道を降りると、今度はワイヤーで吊った細い吊り橋があり、橋を渡りながら美しい滝を正面から眺めることができます。水にカルシウム分が多量に含まれているせいで、長年かけて形作られた石灰岩の棚が何層にも折り重なった壁を水が幾筋も流れ落ちています。

  20〜30分森の中を歩くと、遺跡の入口につながる舗装道路に出ます。その右側に博物館があり、そこで遺跡に置かれていたイミテーションの石版の本物やパカル王の墓の模型などを見ることができます。ここまで歩くのは大変ですが、せっかく来たのに遺跡の中心部だけ見て帰るのはもったいないと思います。「パレンケの面白さは人があまり行かないところにある」というのが私の感想です。

吊り橋の上から見た滝。

パカル王の墓の再現模型。周囲が見やすくなっているがいかにも作り物という感じ。

線

 

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