ハバナ旧市街 (キューバ)

世界遺産

ラテンアメリカの歴史を刻む古都 ハバナ

ハバナのメインストリート、プラド通りに面したグランテアトロ(奥)とホテル・イングラテラ(手前)。

キューバの首都ハバナ(スペイン語発音ではアバナ)は、1519年に都市建設が始まった。主にメキシコや中米の植民地化を推し進めるための基地として発展し、その後は新大陸とヨーロッパを結ぶ交易の中継点となった。特に、新大陸で大量に産出した銀などをヨーロッパに運ぶ船が多く、それを狙った海賊船が周辺海域に出没。時にはハバナ自体が海賊に襲われて焼きうちにあうこともあった。

こうしたスペインの植民地支配によってもたらされた富の一部がハバナの町の建設に使われ、大規模なスペイン風コロニアル様式の都市が誕生した。



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ハバナ・ビエハ(旧市街)への旅

ハバナの旧市街を守る防波堤があるマレコン通り。高波が市街地になだれ込む勢いを見せる。実際、満潮時には、海岸に面した建物は常に波に洗われているような状態になる。
 この通りの手前部分は恋人たちのデートのメッカになっており、夕方はカップルでにぎわう。


カピトリオの前に建つ建物(現在は一般の住宅として利用)。観光客の多くは米国国会議事堂そっくりのカピトリオばかり見ているが、その前に建つこの古い建物のほうが非常にキューバ的な味があって魅力的だ。自動車も1959年の革命以前に使われていたクラシックカーだ。ボロボロだが、まあなんとか走る。


コロニアル風の古い建物が立ち並ぶ旧市街。第二次大戦後の繁栄以降、社会主義による経済停滞で時が止まったようになったが、それがいい味を醸し出す。


長年、危機的な経済状況下にあったキューバでは建物の補修も満足に行えない。このため、町の中心部近くにも老朽化して住めなくなった廃屋がかなりある。このままでは美しい町並みも崩壊していくしかない。一方、国は貧しくても基本的な社会保障が整っているためキューバの子どもたちは明るく元気。人懐こくて、よく話しかけてくる。


廃墟のような建物にも人が住んでいる。居住地を自由に選べないキューバでは、ハバナで暮らせるだけでもラッキーなのだ。


人々の暮らしは貧しく、都市部におけるインフラ整備の遅れも深刻だ。写真は仕事に行くためバスを待つ人々。バスは少なく、非常に混雑する。


キューバの人々は貧しさをあまり気にしない。それより、人生を楽しむことが大事なのだ。町中では、音楽に合わせて集団で踊る人々を見かける。カリブの陽気な音楽が心地いい。


ハバナの人々は非常にフレンドリーで、カメラを向けると笑顔で応えてくれる。観光化が進むとこうした人たちの態度も変わっていくかもしれない。


ハバナの旧市街でも最も古い時代の雰囲気が残っているのがカテドラル周辺。カテドラルと呼ばれるキリスト教の司教座聖堂(右の建物)は1704年に創建されたバロック様式。これと同じように古い時代の建物が広場を囲み、中世のヨーロッパの町にいるような気分になる。


中央公園に立つキューバ独立の英雄ホセ・マルティの像。後ろの建物はホテル・イングラテラ。


キューバ革命の指導者フィデル・カストロが襲撃したモンカダ兵営。今も当時の銃撃戦でついた弾跡が壁に残されている。この襲撃は失敗に終わったが、後の革命に結びつく活動の始まりとして革命組織は記念している。




ハバナ・ビエハ(旧市街)地図

ハバナ地図

.ピトリオ:旧国会議事堂(現在は博物館)。米国の国会議事堂を模して作られた。
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ホテル・イングラテラ(写真トップ)
っ羆公園:独立の英雄ホセ・マルティ像がある。
ゥ┘襦Ε侫蹈螢妊ータ:ダイキリの名店。ヘミングウエイが好んだ砂糖抜きのダイキリは「パパ・ヘミングウェイ」と名づけられている。
Τ很診酳館
Д蕁Ε椒妊ータ・デル・メディオ:ハバナで仕事をしていたヘミングウエイがよく飲みに訪れた酒場。ラムにミントを添えたカクテル「モヒート」の名店。
┘テドラル
プラザ・デ・ラ・カテドラル
プラザ・デ・アルマス
国立芸術博物館




 
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