キリグア遺跡

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中央アメリカ 遺跡と自然巡りの旅:第12回

グアテマラ

巨大石碑の遺跡キリグア



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フローレスからキリグアへの移動

フローレス滞在を終え、次の目的地であるキリグアを目指しました。フローレスから出ているグアテマラシティ行のバスが、途中でキリグア遺跡の近くにあるキリグア村を通ります。ここにある、日本人経営の「キリグアの宿」というホテルに宿泊するため、メールで行き方を問い合わせてみました。すると「キリグアの陸橋で降りると分かりやすい」と書いた返事がありました。

 朝8時ころにサンタエレーナを出発したバスは、昼過ぎにキリグアに近づきました。窓の外を見ていると陸橋があったので、運転手にバスを止めてもらいました。しかし、宿がどこにあるのか見当もつきません。近くにいた村人たちに何度か場所を聞きながら歩くこと約15分。ようやく辿り着いたのは、鬱蒼たる緑に包まれた林の中の小さな家でした。

こんな道の先に宿があるのか?と心配になる。

植物に埋もれそうになっている宿。

庭が美しいシンプルな宿

宿に案内されて、よく見ると、ほったらかしのようで、実は手入れが行き届いた庭が美しく、宿泊する部屋もシンプルですが居心地のいい感じです。バックパッカー相手の日本人宿とは異なり、宿泊客は日本人以外の一般の旅行者が多いそうです。宿のオーナーは日本人の女性で、2004年にこの土地を見つけて購入し、自分で設計・監督して宿を建てたそうです。

 中南米の宿屋の女主人は陽気で豪快な人が多いというイメージを私は持っていましたが、この宿のオーナーは物静かな感じの女性でした。自然そのままのこの土地の生活が気に入っていて、のんびりと、きままに毎日を送っているように見えます。これが、グアテマラの僻地と言われるような場所でなければ、憧れの田舎生活と多くの人が感じると思います。

 宿の料金は朝食込みですが、夕食は入っていません。そこで、村の食堂で食べるか、宿に頼むか選択する必要があります。私は、オーナーに日本食をお願いしました。夕食に出てきたのは、だし巻き卵、蒸し鶏のバンバンジー風、手羽やジャガイモなどの煮ものが入ったお弁当でした。これに味噌汁ときんぴらのような小鉢が付いて80Q(1200円くらい)。久しぶりの日本風の食事にホッとしました。

オーナーの設計・施工というだけに、手作り感がある宿。

部屋はシンプルだが居心地がいい。

夕食の和風弁当。

美しい緑にあふれた遺跡

キリグア遺跡はキリグアの宿からはトゥク・トゥクという三輪車のタクシーで15分くらいの所にあります。遺跡の規模はあまり大きくないので、1時間もあれば十分見学できます。

 キリグア遺跡に通じる道の両側には、米国のフルーツ会社が経営しているという巨大なバナナ畑が広がっています。そこを三輪タクシーで走ると、10分弱でバナナ農園のゲートにぶつかります。この横が遺跡公園になっているのです。遺跡入り口には見学者はほとんどおらず、ひっそりとしています。入場券を買って中に入ると、よく整備された公園のように美しい緑にあふれています。

キリグア遺跡の入り口。

立体的で美しい造形の石碑彫刻群

遺跡エリアに入ると、緑の芝生に覆われた広い広場、「グラン・プラサ」があります。そこに数本ずつ固まった石碑がところどころに立っているのです。

 キリグア遺跡の大きな特徴は、大小さまざまな石碑や石彫が残されているところです。一般的なマヤの石碑は高さ2m程度ですが、ここの石碑は最も大きいもので11m近く(土に埋もれた部分も含む)あるそうです。石碑の表面に施された彫刻も、他の遺跡では浅浮彫(ローレリーフ)なのですが、キリグアの場合は高浮彫(ハイレリーフ)になっていて、かなり立体的で美しい造形になっています。

 これだけの大きさと質の高い彫刻群が残っている遺跡は、あまりありません。また、以前、「2012年に世界が終わる」というマヤの予言が世間を騒がせましたが、この説の元になった碑文もここにあります。多少マイナー感はありますが、訪ねる価値は高いと思います。

石碑が立つグラン・プラサ。幅150m、長さ300mある。

高浮彫で王の姿が表現された美しい石碑。

ステラCの横に彫られた、人類滅亡の予言とされたマヤ文字の碑文。



大国コパンの王を殺したキリグア王

キリグアの歴史を紐解くと、王朝が樹立されたのは西暦400年代のことになります。マヤ文化圏の南東端にあたるこの地域は、現在のホンジュラスにあるコパンという大都市が支配していました。最初のキリグア王は、このコパン王の庇護のもとに新たな都市を築き始めたのです。

 キリグアの運命が大きく変わったのは700年代のことです。724年にキリグアではカック・ティリウという新たな王が誕生します。この王も、コパン王の庇護のもとにあったのですが、738年にコパン王を殺してしまったのです。小国の王が強大な力を持ったコパンの王をどのようにして捕らえ、殺したかはわかりません。一説では、神聖な儀式である球戯でキリグアチームがコパンチームに勝利したことがきっかけとされています。コパン王がこれを悪い予兆と考え、意気消沈したところを、普段から反乱の機会をうかがっていたキリグアに襲われたというわけです。

 実際にどうだったかは分かりませんが、この事件により、キリグアは勢力を拡大し、コパンは凋落していきます。キリグアのカック・ティリウ王は、アクロポリスを建設するなど都市を拡大・整備するとともに、自らの像を刻んだ石碑を次々に作らせます。マヤ最大の石碑、ステラEもふくめ、現在、広場に残る石碑の多くは、このカック・ティリウ王が作らせたものです。

キリグアの隆盛を示すマヤ最大の石碑、ステラE。高さは7.62mという。

コパン王を殺したカック・ティリウ王が彫られている。

獣形神と呼ばれる複雑怪奇な石彫

石彫に関して興味深いのは、ここには獣形神(Zoomorph)と呼ばれる、奇妙な巨石があることです。石の表面には、神の姿やマヤ文字が隙間がないほどびっしりと彫刻されており、その異次元的なイメージには驚かされます。

 建造物があまりないため古代都市の遺跡としては物足りない感じですが、石碑や獣形神のイメージやデザインには素晴らしいものがあります。芸術やデザインに興味がある人にはお薦めの遺跡です。

 
最も保存状態がいい獣形神Pの前部。神と動物が合体したような不思議なイメージだ。

獣形神Pの後部。神の顔が見える。

静かな雰囲気のアクロポリス。

線


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