アグアテカ遺跡

PR

 

中央アメリカ 遺跡と自然巡りの旅:第10回

グアテマラ

アグアテカ遺跡に行く!



前回に戻る 目次に戻る 次回へ進む



遺跡巡りの町サヤスチェに出発!

フローレス周辺の遺跡に行くツアーがほとんどないため、フローレスから車で南に3時間ほどの所にあるサヤスチェという町に行くことにしました。この近くのペテシュバトゥン湖の周辺にもいくつかのマヤ遺跡があるからです。ただ、ここまで行く旅行者は少なく、町に行っても遺跡に行くツアーがある可能性は低いのです。最悪、サヤスチェに泊まるだけになるかもしれないと覚悟していました。

 サヤスチェ行きのワンボックスカーはサンタ・エレナの市場から頻繁に出ています。昼前に出発し、予定通り、午後3時近くにサヤスチェに到着しました。車が停まったのはパッション川を挟んだ町の対岸で、岸辺から渡し船で町に渡らなくてはなりません。天気が悪いせいもあるのでしょうが、遠目に見た町の雰囲気は暗く、重く、危なそうな感じです。ゴミが多い岸辺の汚さや、よそ者を見る周囲の男たちの刺すような視線も感じが悪いです。

 

パッション川の対岸にあるサヤスチェと渡し舟。

遺跡に行くツアーを探す

街の中心にある、雨上がりで泥だらけの坂道を上りましたが、周囲の建物は古く、汚れていて、いかにも辺境の開拓地という感じです。商店の前にいた、ショットガンを抱えた警備員らしき黒人男性に「この辺にホテルはある?」と聞いてみました。すると、男性は少し考えてから、「この道の先にある」と教えてくれました。

 10分ほど歩いて見つけたホテルは、中庭が駐車場になっているモーテルでした。部屋はバス・トイレ付きのツインで、一人1泊80Q(1200円くらい)と安いです。荷物を降ろすと、早速、遺跡の情報収集のために町を歩いてみることにしました。

 町のメイン通りにツアー会社があったのですが、シャッターが閉まっています。川べりに出てみると、渡し船は動いていますが、それ以外のボートは岸辺に係留されており、誰もいません。近くにいたタクシーの運転手に「セイバル遺跡には行けるのか?」と聞いてみました。すると、「今は雨季だから車では行けないよ」と言われました。乾季であれば、セイバル遺跡には車でアクセスでき、ツアーバスもあるようです。

 心配したとおり、どこにも行けない事態になりそうです。「こんなところまで来たのに」と思うと、気分も暗くなりました。あきらめてホテルに戻ろうと泥道を歩いていた時です、中年の男性に声を掛けられました。男は「遺跡に行きたくないですか?」と言います。「行きたいですけど・・・」と応えると、「私はツアー会社の者ですが、明日のツアーに参加できる人を探しています」と言うのです。話を聞いてみると、一人の客がアグアテカ遺跡に行きたがっているが、一人で行くと600Qかかるため乗り気ではない。そこで、もう一人客を見つけて半分の300Qになれば彼は行くといっている、ということでした。

 サヤスチェ近郊には、セイバル、ドス・ピラス、アグアテカの3つの遺跡がありますが、このうち最も遠い場所にあるアグアテカに行けるのですから、悪くありません。私が「行きたい」と答えると、男は「明日、朝7時に川岸で待っている」と言って姿を消しました。

サヤスチェのメイン通り、坂道を下るとパッション川に出る。

宿泊したホテル・セイバルの外観。建物は新しいが、作りかけのようだ。

遺跡に向かってパッション川をボートで走る!

翌朝7時に川べりに行くと、小型のアルミボートが用意されていました。ただ、もう一人の客が来たのは8時過ぎのことです。昨日の男性は「自分は遺跡のガイドもやっている」と自己紹介します。そして、「あなた方が遺跡のガイドを希望するなら、私が特別に100Qでやるが、どうだ?」と聞くのです。北欧から来たと言う、もう一人の若い男性客が「いいよ」というので、ガイドを頼むことにしました。これで、ツアー代は一人350Qになりました。

 小型ボートは川幅20mほどあるパッション川を飛ばしていきます。気温はそれほど低くないのですが、冷たく、強い川風を受け続けるためかなり寒いです。川には多くの水鳥がいて、ボートのエンジン音に驚いて、次々に飛び立っていきます。その多くは、白鷺や川鵜ですが、時々、カワセミらしき小型の美しい鳥も飛んでいました。

 40分ほどで、川幅が大きく広がる場所に出ました。ペテシュバトゥン湖です。西暦600年ころから、この周辺地域にはマヤの都市がいくつも建設され始めるのですが、アグアテカもその一つです。この時代、現在のグアテマラ北部とユカタン半島南部地域で二大勢力として張り合っていたたのがティカルとカラクムル(メキシコの世界遺産)です。アグアテカは、この近くにあるドス・ピラスにティカルの覇権戦略に従って派遣された王の子によって建設が進められ、二つの都市を有する新しい王朝が成立したのです。

 広い湖を進むと、前面一帯が雑木林で覆われている場所になりました。そこには小型ボートがやっと通れるくらいの曲がりくねった狭い水路があります。操縦するガイドは慣れた感じでどんどん進みますが、ルートを熟知していないと迷ってしまうと思います。後から聞くと、このガイドはアグテカ遺跡発掘の手伝いをしていたそうで、毎日、ここをボートで通って慣れているそうです。

 水路を走ること15分ほどで、水面が開けた場所に出ました。前方に緑に包まれた小高い丘が見えます。これがアグアテカ遺跡の入り口でした。

ペテシュバトゥン湖を走るボート。

湖に巣を作っているペリカン。

アグアテカ遺跡に到着。

遺跡の入り口に立てられた看板。



巨大な地溝を越えて進む!

岸から泥道の急坂を上ると、監視小屋がありました。ここで入場の記帳をして、ガイドを先頭に先に進みます。

 アグアテカ遺跡の最大の特徴は、巨大な地溝を利用した都市作りがされていることです。地溝は、地面が動くことによってできる断層で、見学路は垂直にそそり立つ巨大な断層壁に沿って設けられています。そこを進んで行くと展望台に出ます。そこから、林に覆われた広大な湖と、その中にあるボートが進んできた水路を見ることができます。

 先に進むと、ガイドが「地溝の底に降りる」と言います。そこは、切り立った崖に挟まれた幅数mの溝で、深さが30mあります。ちなみに深い地溝になると70mはあるそうです。地溝の中は薄暗い洞窟のような感じです。地面が裂けた際に転がった大きな石ががごろごろしていますから、歩きにくくて仕方ありません。しかし、地球の神秘というような感じがして、探検気分が盛り上がります。

熱帯植物に覆われた道を遺跡に向けて歩く。

途中から垂直の断層壁の横を通る道になる。

展望台から、ボートで辿った水路が見える。

深さ30mの地溝の底に降りる。

アグアテカを支配した王家の宮殿群

地溝を抜けると、いよいよ遺跡です。ここもワシャクトゥンと同じで、巨大なピラミッド神殿などはなく、小型の神殿や宮殿、住居跡などが森の中に点在しています。実は、この遺跡を発掘したのは、日本人の猪俣健氏(アリゾナ大学人類学部教授)です。ガイドは猪俣氏とともに行った遺跡発掘がいかに大変だったか話してくれました。

 遺跡の最初の見所は、宮殿グループにある王家の宮殿(Palasio de la Familia Real)です。文字通り、王が住んでいた石屋根を持つ立派な家で、きれいに修復されています。

 先述した通り、アグアテカはドス・ピラスと同じ王の支配下で王朝を築いたのですが、ティカルから派遣されたこの王がティカルに反旗を翻したのです。策士であった王は様々な手を使って勢力を拡大していきますが、時代が移り西暦800年を過ぎると、王朝は衰退してしまいます。すると、周囲の敵国はアグアテカを滅ぼそうと、地溝を利用して作った防御線を乗り越えて攻撃してきます。王と家族がここから逃げ出した後も、貴族たちはこの地を守ろうと抵抗していたのですが、とうとう敵の侵入を許し、支配階層は捉えられて連れ去られました。そして、庶民層もここから追放されて、都市は廃墟となったのです。

 実は、こうした最後を迎えた都市は珍しいようなのです。マヤの多くの都市は、王朝が衰退すると、少しずつ人々が移動を始め、一定期間を経た後に放棄されます。その過程で、生活道具は運び出され、生活の跡は消えてしまいます。ところが、ここでは支配層が逃げたり、連れ去られたままの状態が残ったのです。このため、アグアテカはマヤの支配階級の生活を研究するのに適した遺跡として注目されているそうです。

宮殿グループの広場に面して王家の宮殿がある。

王家の宮殿はピラミッド状の基台の上に載った美しい建築物だ。

王家の宮殿を上部から見たところ。

戦争に勝利した記念の石碑

次は、メイン・プラザ(La Plaza Principal)です。ここには、小型のピラミッド型神殿や統治機構の建物群が集まっています。最も特徴的な建造物は、王朝の神殿(Templo Dinastico)と呼ばれる、小型の神殿で、その前には2本の石碑が立っています。王の姿がハッキリと刻まれていますが、これはイミテーションです。

 マヤの石碑には王の姿とともに、マヤ語で石碑の意味が記されています。マヤ文字の解読が進み、この石碑の意味も分かっています。それによると、735年にウチャン・キン・バラム王が、対立していたセイバルとの戦いに勝利したことを記念したもので、王の足元には、捕らえたセイバルの王が縛られています。

密林の中に点在する建築物を見て回る。写真の人物はガイド。

王朝の神殿と、その前に立つ石碑。ウチャン・キン・バラム王が、対立していたセイバルとの戦いに勝利したことを記念したもの。

775年〜778年の年号が記された石碑19。アグアテカ第5代の統治者で、最後の王となった人物が彫られている。

遺跡の規模はそれほど大きくないが、神秘的な雰囲気が保たれている。



美しい自然と神秘の遺跡の組み合わせが心に残る

アグアテカは決して大きな遺跡ではありませんし、建造物の修復もほとんどされていませんが、周囲の美しい自然や巨大な地溝と神秘的な遺跡の組み合わせは、結構いい感じだと思います。

 ボートで行く遺跡は、メキシコのヤシチュランとベリーズのラマナイに次いで三カ所目ですが、遺跡はともかく、途中の自然の美しさやボートツアーの楽しさは心に残りました。

帰り道、川岸で大きなワニが昼寝していた。

線


「第9回」に戻る

 

「第11回」に続く



 
ラテンアメリカ博物館
Copyright 2016, K.Norizuki.all rights reserved