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南米ボリビア 遺跡と大自然の旅:第2回

謎の巨石文明 ティワナク

 

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古代遺跡に向けて出発!

ラパスの近くには、アンデス文明史の中で非常に重要な位置づけがされているティワナク遺跡があります。3月は雨季の最後の時期で、毎日のように雨が降っていますが、朝の晴れ間を見て出かけることにしました。

 ティワナク行きのコンビ(乗り合いミニバン)は街の北西にあるセメンテリオ(墓地)の近くから出発します。朝9時ころに行くと、道路に止めたバンの中に5人ほどの若者が乗っており、「もう1時間も待っているんだ」と言います。 乗り合いの車は出発時間が決まっておらず、一定の人数が集まるまで待つのが普通です。

 運良く、それほど時間を置かず4人の乗客がやってきたので車は出発。人口が増大しているエル・アルトはいつも通りのすごい渋滞ですが、郊外に出れば、高速道路並みの見通しのいい一本道。思い切りスピードを上げて走れます。ティワナクまでは約2時間かかりました。

ティワナクに到着したバン

ティワナク遺跡の入り口。左の建物が博物館

 

1400年近く続いたティワナク文化

同じ車で来た若者たちと一緒にガイドを雇うことになりました。私を含めて8人でシェアして一人あたり18ボリビアーノ(280円くらい)でしたが、入場料がちょっと高く100ボリビアーノ(1500円くらい)でした。

 見学は博物館から始まりま、まず、ティワナクとはどのような文化かという説明を受けます。

 ティワナク文化は、形成期の初期(ティワナク鬼)が紀元前200年ほどまで遡り、数多いアンデス諸文化の中でもかなり古い時代に属します。その後、都市として発展を続け、ティワナク拘と呼ばれる西暦1200年ころまで続きます。その間、宮殿やピラミッド状建造物など様々な構造物が作られますが、その特徴はインカ文明につながる巨石加工を得意としていたことにあります。

 最盛期には、現在のボリビアからペルーにかけて広い版図を誇ったのですが、1200年ころになると衰退し、周辺諸族が群雄割拠して争う時代に入ります。その中から出てきて、たちまち諸族を平定したのがインカだったのです。

ティワナクの博物館

ティワナクの特徴的な土器

巨石を出入り口の形にくりぬいたもの。石の加工技術の高さが分かる。

 

巨大石像が立つ部屋

 今にも雨が降りそうな雰囲気だったため、すぐに遺跡に行きたかったのですが、まだ次の博物館がありました。こちらには、遺跡を模した部屋の中央にベネットと呼ばれる巨大な石像(モノリート)が立っています。もともとラパスの博物館に置かれていたのを移したそうで、高さ7.3m、重さは20t。紀元600年から800年のティワナク鹸に作られたものだそうです。マヤの石像に比べるとプリミティブですが、堂々としていて見応えがあります。ちなみに博物館内は撮影禁止になっています。

 外に出ると雷が鳴り、かなり雨が降っていました。ガイドはみんなに「合羽を着てください」と言いますが、雨の中での遺跡見学は大変なのです。遺跡の入り口から中に入っていくと、最初のピラミッド状建築物に続く道がぬかるんでいて靴が泥まみれになりました。

メインの遺跡の入り口

雨の中で泥道を歩く

 

ピラミッド状の建築物アカパナ

中に入って最初にあるのがアカパナというピラミッド状建築物です。7段の階段状になったピラミッドで高さが17mあります。ピラミッドと言ってもかなり変形で、幅は最小部114m、最大部203m、奥行き192m。平らになった頂上部には十字型の半地下式広場が作られていたようです。ふもとの部分から頭の無い遺体が発見されたことから、生贄の儀式を行っていた神殿と推測されているそうです。

 普段は頂上に上ることができるようですが、この日はピラミッドの斜面の土がドロドロになっていて上ることができませんでした。

アカパナのピラミッド。まだ、ほとんど修復が進んでいない。

アカパナはこんな形をしていたそうだ。

有名な太陽の門を見る!

アカパナに隣接して、カラササヤという石壁に囲まれた130m×120mの長方形の建造物があります。この中には、博物館にあるベネットに似たモノリートが2体と、ティワナクで最も有名な太陽の門が立っています。

 カラササヤは近年になって復元されたのですが、元の建造物とはかなり違っているという指摘があるそうです。アバウトな想像で古代遺跡を復元してしまうケースは、それほど珍しくありません。

 カラササヤには西側の壁を階段を使って乗り越える形で入ります。そこに立っているのが石像(モノリート)のエル・フライレ(トップの写真)。北側に、有名な「太陽の門」があります。

 太陽の門は大きな石を削って彫り出したもので、建物の入り口だったと推定されています。正面の上部にはビラコチャ神が浮き彫りにされておりその両側に、鳥人および走る人とされる2種類の像が繰り返して浮き彫りになっています。それほど大きいものではないのですが、その精巧な作りと高度な石の加工技術が印象に残ります。ちなみに、この門が立っているのは本来の場所ではなく、元々どこにあったのか分かっていないようです。

カラササヤの出入り口は東側にあり、その近くにもう一体の石像、ポンセが立っています。こちらは保存状態がよく、身体などに彫刻された文様などが良く残っています。

 カラササヤの外壁は平たく加工された石で装飾されています。これだけ見ると、紀元前2000年に栄えたと言われているペルーのセロ・セチン遺跡に似ている感じですが、時代に差がありすぎるので、関係は無いでしょう。

カラササヤの石壁を乗り越えて中に入る。右に石像の頭が見える。

太陽の門の正面。一枚岩から削り出したものだが、右肩部分が割れてしまっている。

太陽の神ビラコチャが中央に彫られている。両側の鳥人間は同じように見えるが、よく見ると二種類のデザインがある。

太陽の門の裏側。シンプルに作られている。

保存状態のよい石像ポンセ。

東側にある門。ポンセが立っているのが見える。

カラササヤの外壁は石を平たく加工して積み上げている。

人面石がはめ込まれた半地下式広場

カラササヤの東側には28m×26mの半地下式の方形広場があります。深さが1.7mあり、水がないプールのような感じです。中央には小ぶりのモノリートが立っており、周囲の石壁には人の顔を彫った石が埋め込まれています。

 この人面石は177あるそうで、ビラコチャ神の命によってこの地に現れた様々な人間のグループのシンボルとして彫られているそうです。

カラササヤ(奥の壁)に隣接した半地下式方形広場

広場の中央に立つモノリート。ユーモラスな顔だ

広場の壁には人間の顔を象った石彫がはめ込まれている

インカにつながる巨石文明の源

天気は回復傾向にあったのですが、道がぬかるんでいるため遺跡をくまなく見て回るのは難しい状況でした。そこで最後に、メインの遺跡群からは少し離れた場所にあるプーマ・プンクに行くことにしました。博物館から歩いて10分ほどで、入り口に到着。ここには、巨石を使った様々な建造物の跡があります。

 かつて、ここには低層の階段状の基盤の上に神殿が建てられ、基盤を掘り下げた広場もあったようです。現在は、元の形が分からないほど破壊されていますが、あちこちに残る大きな石を削り出して作った大小さまざまな石材は見事な出来です。インカの神殿の壁などを形づくる美しく加工された石が思い出されます。石に彫られた形状としては、特に十字が多用されているのが印象的でした。

 アンデス地域には「アンデスの十字」と呼ばれる形状があり、アカパナのピラミッドの復元模型でも頂上に十字型の窪みが作られています。この形状がインカにも受け継がれ、「インカの十字」と呼ばれる4方向、あるいは4つの世界を十字で示す独自の世界観が形成されたといいます。

プーマ・プンクは少し離れた場所にある

バラバラになった石が放置されており、復元はまったく手付かずになっている

加工された巨大な石の板がある

石には細かい加工が施されている。十字の形も多い

プーマ・プンク神殿の予想図

 

見学終了!

ここで見学の時間が終わりになりました。朝、乗ってきたコンビは乗客が見学を終える時間まで待っているのです。ただし、行きの乗客に加えて、遺跡からラパスに行く他の人達もできるだけ乗せるため、ちょっと窮屈になってしまいます。

 帰りは雨も上がって、4000m近い大平原の青い空に白い雲が湧く美しい光景を見ることができました。遺跡見学にはもう少し時間が欲しい部分もありましたが、同行者とガイドをシェアできたこともあり、満足できる遺跡巡りの小旅行となりました。

4000mの高原に青空が戻ってきた。

線

 

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「第3回」に続く

 



 
ラテンアメリカ博物館
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